恋愛症状(内藤みか)徳間文庫より11月5日・発売!

 今日も、携帯電話の小さな液晶画面には、デジタル表示の時刻だけしか、出ていない。メールや留守番電話が入っていれば、画面 右上に手紙やマイクのマークが出てくるのだが、ここ数日、そんな印を見てはいない。

 木曜日午後九時、私鉄急行から各駅停車に乗り換える、適当な椅子に座る。降りる駅まであと三つほど。僅かな暇を潰すのに、携帯はもってこいの存在だ。白いコンパクト型の私のドコモは、まだ一年ちょっとしか使っていないのに、早くも古い機種になりつつある。着メロも、私の携帯では対応していないものも増えてきた。ドコモクラブのポイントも増えてきたし、そろそろ、替え時かな。

 電車が動き出すまでに、友達にメールを一本打った。週末に、一緒に映画に行く約束をしている。結婚した彼女とは、随分会っていない。ご主人が出張で淋しいというから、独身で暇な私のところに連絡を入れてきたのだ。私もまあ暇だったから、それなら、と出かけることにした。何時にどこで待ち合わせをしよう? と送信してみる。

 そこで、電車が動き出した。
 見渡すと、前や横に座っている人の半数が、携帯をいじっている。メールを読んだり書いたりしているのだろう。

 少し微笑を浮かべながら画面に見入っている隣のサラリーマンの携帯をちらりと覗いたら、画面 いっぱいに髪の長いしとやかな女性の顔写真があった。恋人のだろうか。それとも、出会い系か何か……?

 降りる駅まで、あと十分。

 他に、メールを打つ相手は、いないだろうか。送信メールや受信メールを覗き込んでみたが、誰からもメールが来ていないし、誰かにメールを打つ用件もない。いつものことだけれど、私の携帯電話はほとんど鳴りもしないしメールも運んではこない。

 取り残された気分でいると、手のひらの上の白い携帯がぶるぶると震え、メール着信の証の青いライトが光り出した。

 ……誰?

 わくわくしながらメールボックスを開くと、二件も入っていた。一件目に目を通 して、がっかりした。今メールを送った友達からの返信で、
『ごめんね。主人が出張早めに終わって週末は家にいるっていうの。映画はまた今度ネ』 と書かれていたからだ。

 せっかく楽しみにしていたのに。女友達は、さもそれが当然のように、夫や恋人のほうを、優先させてしまう。たったひとりで、私はぽつねんと取り残されてしまうほうだ。

 そしてもう一件のメールを開いて、ますます気が滅入った。
『ひとりで淋しいあなた! 恋人ができるサイトのご紹介です! 女性完全無料!』
 とあったからだ。

……出会い系サイトのダイレクトメールだったのか。不特定多数に勝手に毎日のように送りつけてくる、うざったい存在だ。
 いつものようにすぐに消去しようとして、ふと、思いとどまり、周囲を見回した。向かいや隣の女性達はまだ熱心に携帯をいじっていた。彼女達には、連絡を取り合う恋人や友人がいる。私には恋人はおろか、親友と呼べる存在すらいない。

 ここで作業を中止して、自分だけ携帯を鞄にしまうのは、ひどく惨めだった。私はひとりぼっちです。連絡する相手もいません。そう宣言しているようなものだ。
 駅に着くまで、どうせ何もすることはないのだから……。その間だけでも、このページを覗いてみるのも、いいかもしれない。無料だと、書いてあるのだから。

 リンクボタンを押すと、
『ようこそ! 出会いの花園に。お好きな地域と年代を選んでください』
 と、出てきた。三十代、東京、とボタンを押すと、それこそ帯のように男性達のプロフィールがずらりと流れ出てきた。画面 を下にスクロールしても、スクロールしても、まだまだ続く。こんなに大勢の男達が、携帯の小さな画面 を見つめながら自己紹介を打ち込んでいたのかと思うと、なんだかその一所懸命さが可愛らしく思えてくる。

 私はぼんやり、それらを眺め続けた。

『三十三歳。既婚者です。割り切ったお付き合いができる女性と、ドライブやデートを楽しみたいです』
『三十五歳。独身です。まずはメールから始めませんか。当方国家公務員です』
『三十一歳。釣りと野球が好きなわりとワイルドな男です。一緒にアウトドア体験、しませんか?』

 たくさんの、甘い言葉が、おいでおいでと透明な手を伸ばしてきたような気がして、一旦、画面 から目を逸らした。
 出会い系サイトを、怖いものみたさで覗いたことくらいはある。大勢の男性達が自己紹介を書き込んでおり、気に入った人がいれば、その人にメールを直接送ることができるという類のものだ。

 けれど私はその時見たどんな男性のプロフィールにも興味を抱けなかった。今だってそうだ。全然、ピンと来なかった。こんな短い文章で恋の予感を嗅ぎつけることができる人って、相当に勘が鋭いのではないだろうか。 私はひどく疲れていて、もう二度と、欲情なんかできそうもなかった。

 だから、この画面を覗いているのも、ただの、暇つぶし……。結婚紹介所の広告みたいに、運命の赤い糸が、すぐに見つかるわけじゃないし。第一そんなもの、本当にあるとは思えないし。

 二十九歳の私は、完全に“終わって”いたのである。
 恋人と別れて半年が経つけれど、まだその疲れが残っている。普通 に付き合って、そして別れただけなのだけれど、その時以来、とてつもない疲労感を抱いたままだ。

 それっきり、私の中の泉は枯れ続けている。どんな男の人を見てもエッチをしたいだなんて思わないし、素敵だなとすら感じない。恋愛なんて、面 倒臭い。

 とはいえ、もう少しで三十になってしまうから、そろそろ結婚はしたいかな、とも思う。 近頃大学時代からの友達や会社の同僚との連絡は、近頃途絶えがちだった。いつもは一緒にお茶にショッピングをにと週末そぞろ歩いていてくれたのに、近頃急に皆、忙しくなってきている。近況を尋ねてみると、お見合いして婚約したり、恋人ができたり……。ひとりまたひとりと、付き合いが悪くなっている。

“できれば三十路を迎える前に決めたいのよね。そうじゃないと、一生結婚できなくなりそうで”

 皆、二十代最後のチャンスとばかりに、頑張って結婚を目指している。私には、その気力すら、ない。ただぼんやりと彼女達を見送っているだけだ。きっと、何人かは本当にゴールインし、二年もすれば赤ちゃんの成長をホームページで綴ってしまったりもするのだろう。そして私は、いつ、恋する勇気が湧いてくるのか、わからないままだった。

 どんどん淋しくなる私の週末は、惨めだった。世田谷区の小さなアパートの中で、日曜日のお昼に出かける予定もなく、ずるずるひとりで冷凍うどんを啜っていたりすると、どうして私、ここにいるんだろう? こんなところで何しているんだろう? と落ち込んでしまう。

 私は、恋に前向きになれなかった。いいトシなのだから焦らなくてはいけないのに。
 恋人に捨てられてしまってから、私の中の気力がなくなってしまったのだと思う。

 彼との出会いは、大学時代だった。地方から上京したての私を、同じサークルだった三つ上の彼が見初め「可愛い可愛い」とあちこちに連れ歩いてくれた。朝まで飲むこと、朝まで遊ぶこと、朝まで語り明かすこと……。みんな彼と、サークルの仲間が教えてくれたことだった。そして私は朝まで男の人と裸で抱き合って眠ることも、彼に教わったのだった。

 彼は私の初めての人だった。
 男の人の性器に触れること、男の人の乳首を舐めること、そして男性自身を受け容れることも、全部彼が、私に仕込んでくれた。ぎこちない動きが少しずつ滑らかになり、私は少しずつ、彼の腕のなかで女になった。時には少し大きめの声をあげ、彼の背中にしがみつきながら絶頂してしまうほどに成長した。 だのに彼は、一通 りのことを私に伝え終わると、僕の役目は終わったとばかり、そそくさと去って行ってしまった。そして自分の会社の新入社員と結婚してしまった。昔の私に良く似た、つぶらな瞳の純朴そうな若い子だ、と噂に聞いた。私は飽きられ、捨てられてしまったのだ。開発途中でバブルが弾けたニュータウン予定地のように。

 以後、組みかけた鉄骨が錆びていくように、雑草がコンクリの土台を覆っていくように、私の心も荒涼としていく一方だった。
 独り身となったけれど、男が欲しくて欲しくて火照ったりするわけでもなく、ただもう何もかもどうでもいいけだるさだけが満ちている。だから、ぼんやりとこの半年間、過ぎてきてしまった。よく女性週刊誌とかで肌さみしさからテレクラとかで知り合った人とセックスしてしまう淋しい女の記事が載っているけれど、そんな心境には全然、ならなかった。 

 元々私は淡泊だったのだろう。セックスも自分から彼にねだったことなんかない。気持ちいいには気持ちいいけれども、どうしてもしたいというほどではない。彼が迫ってきたらそれに応じる程度の性欲しか持ち合わせてはいなかった。毎週デートして、毎週のように彼に抱かれていた数年間で、私は人生のすべてのセックスをこなしてしまったのかもしれない。

 けれども、昨日……。
 三十歳を目前にして、私はキスをしてしまった。
 甘い、グミのように弾力ある柔らかさが私に押し当てられてきた。久しく味わっていなかった懐かしい感触が伝わってきた。

 本当なら、ここで女は、若かったら感激のあまり涙ぐんでみたり、発情していたら彼の首根っこに腕を回してみたりするのだろう。 けれども、私はそんな気持ちには、なれなかった。相手のことを好きとか嫌いとか、そういうことを考えることが難しかった。

 多分、自分の想像以上に、私は疲れているのだろう。長いこと、私は恋人とだらだらとした関係を続けてきた。結婚の約束をするわけでもなく、ものすごく彼のことを愛しているわけでもなく。

 そんな関係は、いつのまにかひどい緊張を私に強いていたらしい。先行きどうなるかもわからないまま、流されるままに彼と付き合ってきたあの日々を終えてから、私はどっと疲れて、どんなものにも不感気味になっていた。いつ結婚を切り出してもらえるのか、顔色ばかり窺って、彼好みの女になろうと頑張ってきたつけが来ているのかもしれない。

 昨日の唇は、昔の恋人のと同じくらい温かかった。私は黙って少し顔を上げたままの姿勢で、それを受け容れ続けた。 

 その男が好きだったから、ではない。
 でも求められたので、キスをしてしまった。私はいつも、そうだ。拒めないのだ。

 二十代最後かもしれない口づけは、体重が気になった時に間食としてつかうこんにゃくゼリーのように、弾力同士が押し合う、ちょっと激しいものだった。

 互いの肉が離れる直前、私は彼の下唇を吸うふりをして、軽く噛んだ。
 自分の唇をきゅっと噛む時のように、少し、強く。

| 乳首 | クリトリス | | 唇 | 背中 |

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