サトシが私の隣に座った。
急に、心が華やいでしまう。顔の筋肉が緩んでいくのが、わかる。
それほど親しくない関係の男でも、膝が触れ合うほど近くに腰掛けられると、急に仲良しになったかのような錯覚に陥る。それが、好きな男だったら、なおさらだ。
ホストクラブは、そうした女の心理をちゃんと計算に入れて営業しているとしか思えない。客の隣に座ることができるのは、指名者だけだからだ。客が自分から、隣に座ってもらいたい男を選ぶのである。
だから、もっと喜んでいいはずなのに。
サトシが近くに来ると、いつも私は戸惑いのほうが、先にたってしまう。
私より五つも下の、美少年……。
いやもう二十三歳なのだから、美青年というべきだろうか。
彼が私に微笑んで、グラスを掲げる。
ワイングラスには、店の名がプリントされたコースターが載っていた。
“もう一度ここに戻ってくるから、このグラスは片づけないでください”
というメッセージなのだ。
コースターを彼が指で摘んで、どかす。
その瞬間、急に、恥ずかしくなった。
彼の指は、白くて長い。子どものころ、母親の命令でピアノを習わさせられていたからかななんて言っていたけれど、それだけじゃないだろう。一本一本が、しなやかな鞭のように、長い。彼がふざけて鍵盤を叩くようにひたひたとテーブルの上に指を走らせたことがある。その時、テーブルになりたい、と、強くそう思った。私も彼の指に打たれたい、と。
その彼が、コースターをどかし、これからまた私としばらくのひとときを、過ごすのだ。一瞬の幸福に、私は浸った。コースターを動かすそのさまは、女の服を脱がす様子を、連想させた。サトシは女とする時、こんな風に慎重にお洋服を摘むのだろうか。
時刻は午前四時を回っていた。
今夜は彼を指名している客は、今のところ三組。こんなに指名客がいる彼を見たのは、初めてだった。なんだ、いるんじゃない、私の他にも、お客さん。そんな、ちょっとだけ面 白くない気分だった。
「ただいま〜」
他のテーブルを回って、一時間半ぶりに彼はここに戻ってきたのだ。その間に、彼の他の客は、ドンペリを一本開けて、彼に飲ませていた。結構回ってしまっていたみたいで、彼の目は、赤くなっている。少し、せつなかった。ホストって、本当に酒で体を壊してなんぼの世界のような気がする。
でも、酔っぱらった彼であっても、すぐ隣にいてくれるのは、やっぱり、嬉しい。サトシがいない間、私の正面 には、常時二〜三名のヘルプがついてくれてはいた。面白そうな話題を選んでは、あれこれ私に聞かせてくれたが、結局はそれは間つなぎでしかない。私はサトシに会うためにこの店に来ているのだし、サトシが隣にいなくては、高いお金を払っている意味は、ない。
といっても、彼は、人から見れば、
「えッ、この人にあなた貢いでいるの?」
と驚かれるくらい普通の男であった。もちろんいいスーツを着て、髪型も決めているので、それなりにはカッコいい。でも、ルックスだけで女に金品を貢がせるほどには、カッコよくはない。
私だって、彼の顔が好きなわけではない。 彼を好きになった理由は、ルックスではない。彼の語り、である。
ここは、ホストクラブといってもわりと安めの値段設定なので、二万円のジンロのボトルを入れてあれば、一晩二万円台で過ごすことができる。
だからただのOLの私でも、なんとか遊びに行ける。そして今日で店に来るのはもう、何度目だろう。この二ヶ月で毎週のように行っているとは思う。ちょっと、多すぎるかもしれないけれど、ボーナスもいっぱい残っていたから、つい、頑張ってしまっていた。
最初に店に行ったのは、サトシの方から声をかけてきたからだ。それまでは、ホストクラブになんて、行ったこともなかった。
歌舞伎町で飲んでいて終電に間に合わなかったのだ。一緒にいた友達とふたりで、まんが喫茶ででも夜明かししようか? と一番街の真ん中で立ち話をしていた時、
「お姉さん、ホストいかない? ホスト」
と、甘えたような声をかけてきたのが、彼だった。くりっとした丸い、悪戯っぽい目。なんだか面 白そうな人。ホストというより、芸人みたいなノリ。それが第一印象だった。
「五千円で飲み放題だし、どう?」
「……どうする?」
友達の顔を見ると、彼女もまんざらでもなさそうだった。マンガ喫茶でだるくうたたねしているよりは、刺激的な夜を過ごしたほうがいいからかもしれない。私達はどちらもホストクラブ未経験者だったので、本当に五千円オンリーなのかしつこく念を押して、そして、彼についていった。
どうしてあんなに簡単についていったかというと、彼が多分ものすごく正直だったからだと思う。あの晩、他にも私達に声をかけてきたホストは何人もいた。でもサトシみたいに率直に実状を語ってきた男はいなかった。
「頼む! 俺、今夜客を連れて店に戻らないと、クビになっちゃうんだ」
またそんな大袈裟なこと言って……と苦笑いしそうになっている私に、嘘じゃないって、とサトシはちょっと恐い顔になって言った。
「信じられないんなら、店に行った時、指名表を見せてあげるよ。俺、今週マジでゼロなの。うちの店週に一本指名取れないと、クビなんだよ」
店に入って彼は二ヶ月目だという。最初のうちは女友達や元彼女らに声をかけ、奢ってやると言って自腹を切って、店に連れていって、どうにか指名ノルマをクリアしていたのだそうだ。だが、いよいよネタも尽き、夜の街でキャッチをするしかなくなったのだという。
「キャッチ、難しいよ。だって街にホストいっぱいいすぎるし、女の子達も選ぶしさ。俺、トークだけしか自信ないけど、話も聞いてもらえないから……」
すこし、しょげた顔。
最近は、成績が良くないから、と店でも冷たく扱われることが多くて、肩身が狭いのだという。
「多いんだ、俺みたいに、全然売れなくて辞めてっちゃうホストって。キャッチ、つらいもん。一週間ももたないで速攻辞めちゃう奴も多いよ。二ヶ月も続いてるから、結構タフな方、俺は。でも全然客、増えないけど」
自嘲気味な喋り。だのに、なぜなのだろう、引きつけられていく。もっと彼の話を聞きたかった。もっともっと、惨めな、話を。
私も、惨めな女だからだ。
心の中は、恋が終わったばかりで、空っぽだった。フられたのだ。フられたといっても、普通 の失恋ではない。妻も子もいるハラダという男に、捨てられたのだ。いつか離婚するから。いつか結婚しようね。そんなハラダの言葉を本気で信じて、二年間も、だらだらと関係を続けてしまっていた。
二年も続いたのに。終わるのは一瞬だった。妻が勘づき始めているんだ。それだけの、一言で。取り残された私は、ハラダの荷物が引き揚げられてがらんとなったワンルームマンションで、ぼうっとする毎日を送っていた。
男なんて、みんな嘘つきだ。
そう思っていただけに、サトシのグチも、どうせ客を引くための嘘でしょ、という気がしていた。彼だって、なんだっていいのだろう。客さえついてくれれば、口から出任せでも、なんでも。
でも、彼が演出していた惨めっぷりが妙に気に入った。共鳴してしまったのかもしれない。
私はキャッチなんてしたことはない。実生活で逆ナンパをしたことなんてもちろんないし、自分から男に告白したこともない。だけど、いつ来るかわからない男を待って、ひたすらじっとしていた。
でもなかなか客を掴まえられない、とサトシは言った。私も男の心を掴まえきれなかった。去られてしまう哀しみを、彼ならわかってくれそうな気がした。別 にわかってもらえなくてもいいのだけれど、どうせ一緒に飲むのなら、少し淋しい男のほうがいい。
そして一度だけのつもりで入ったホストクラブに、私はもう十回以上、足を運んでいる。 サトシに、ハマってしまったのだ。
こんなこと、恥ずかしくて、一緒に行った友達にも打ち明けてはいない。携帯電話にかかってきたコールを断ることができず、ずるずると彼に会いに通 ってしまっている。今までで彼に注ぎ込んだお金は三十万円くらい。貢いでいるというほど大きな額ではないが、OLとしてはかなり限界に近くなってきてしまっている。店と取り分はフィフティフィフティだというから、彼の懐には十五万円が確実に歩合給として入ったことになる。私が毎週店に行っているので、指名のノルマもクリアできているだろうし、ホストとして少し自信もついてきた頃、だろうか。
とはいえサトシから別に、何もしてもらってはいない。毎日のように電話が来て、今なにしてる? 今度いつ来れる? と聞かれるだけだ。
向こうは営業活動なんだろうけれど、食事や映画に誘ってきたこともある。でも、さすがに断った。あの黒っぽいスーツ姿の彼と一緒に街を歩くと、ホストに貢いでいる女ですと言って歩いているようなものだ。知り合いにでも会ったら、目も当てられない。
なのに、サトシは今夜も席につくなり、
「マミちゃん、いつになったら僕と店外デートしてくれるのよ〜」
と、絡み始めていた。
そして絡まれ、誘われていると、なんだか私もひどく心が安らぐのだった。男に求められているというのは、どんな形状であっても、女をほっとさせる。生きていていいのだな、という気に、させられる。
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