<18歳未満閲覧禁止>

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<10万円の旅>

  1

 海で、彼を放し飼い
にした。
「泳ぐには、少し冷た
いね」
 仁志は残念そうに、
波打ち際に沿って歩い
て行く。伊東の海は、
波がとても穏やかで、
仁志の背中の向こうで、
優しく白いレースのよ
うな飛沫をあげていく。
 私は黙って、彼の後
ろからついていく。
 近くに二匹のビーグ
ル犬を散歩させている
おじさんがいた。二匹
は綱が外されたのが嬉
しいのだろう、じゃれ
合って、駆け回ってい
る。二匹と一人が近付
いてきたので、私は会
釈した。おじさんも会
釈を返した。
「お互い、大変ですね」
 そう言いたくなった。
 ペットを散歩させて
いる者同士。
 仲間意識みたいなも
のが生まれてきてしま
う。
 とはいえ、仁志は、
人間だけれども。でも、
今日は、私が飼い主だ。

 本当は、買い主、と
言うのが正しいのかも
しれない。けれども、
気分的には飼っている、
という方が、しっくり
とくる。
 このペットは、高か
った。
 テリヤとかチワワは
十数万円出せば、死ぬ
まで可愛がることがで
きる。でも、仁志は、
十万円出して、たった
の十二時間しか自由に
ならない。彼が所属す
るのは、出張ホストク
ラブ。そして彼は、一
時間一万円で女性に買
われていく。十二時間
だと割引価格になるの
で十万円だ。 
「今日の旅行は、かな
りオトクですよ」
 彼は恩着せがましく
そう言ってくる。
「普通だったら十二時
間十万でしょ。今回の
旅行は朝の八時から次
の日の夕方までで、十
万円なんだから。出血
大サービスだよ」
「ほんとなら、幾らな
わけ?」
「えっとね、三十万く
らいっすよ。えーッ!?」
 自分で言って、仁志
は驚いている。
「すごいっすね。俺っ
て、たった一泊二日で
普通のリーマンの月収
みたいな額、稼いじゃ
うんだ」
「三十万なんて、とて
も私、払えないわ」
「あ、いいんですよ。
真奈美さんは特別です」
「なにが特別なの?」
 おだてでもいいから、
耳触りのいい言葉を期
待した。そして仁志は
ちゃんと期待に応える
ことができる子だった。
だから買い続けている。
もう、今日で五回目だ。
「特別いい女? 特別
お金持ち? 特別優し
いの? それとも、特
別、大切?」
「うーん? どれかな
あ〜?」
 しばしの沈黙。その
間に多分彼は、一番私
が喜びそうなセリフを
探してくれている。彼
にとって、女の人を喜
ばせることが仕事なの
だから。
「俺は欲張りだからさ」
 仁志は真っ直ぐこち
らを見た。そして、少
し不揃いの歯を見せて
笑った。
「全部! 真奈美さん
は俺にとって特別な、
全部」
「……」
 すぐ次のセリフを返
せなかった。
 彼の全部。
 そんなはずがあるわ
けない。彼には私みた
いに何人ものお客さん
がいて、取っ替え引っ
替えその女性らと彼は
夜を共にしたり昼にデ
ートしたりしているの
だろう。そんな仁志が、
私だけを特別扱いして
いるわけがない。彼は
売れっ子なのだから。
 この旅行だって、本
当は先週行くつもりだ
った。けれど仁志が予
約がいっぱいで、一週
間私が休みをずらすし
かなかった。きっと、
彼はいろんな人とこん
な風にふたりきりで旅
行したりもするのだろ
う。TDLやTDSも
何度も行ってるに違い
ない……。
 そんなことをぐるぐ
る考えている間に、仁
志は犬と遊び始めてい
た。波打ち際で、裸足
になって遊んでいる。
「子どもみたい……」
 真奈美さんもおいで
よ、と手を振ってこら
れたけれど。何だか気
後れして入っていけな
い。見ると、ビーグル
の飼い主も、腕組みし
てただその様子を眺め
ている。だから私もそ
しらぬ顔をして、遠く
を過ぎるヨットを見つ
めた。彼はそれ以上私
に声もかけず、犬とた
わむれて走り回ってい
る。まだ子どもなのだ。
たったの二十一歳なの
だもの。
 やがておじさんが横
笛でビーグル二匹を呼
び寄せた。私も仁志の
携帯をコールする。遠
くから大声を出すのは
いやだったり、彼のポ
ケットに入っているベ
ルを、鳴らしたかった。
「帰るわよ」
 そう言って、先に歩
き出す。
 慌てて後から仁志が
ついてくる。
「あの犬、可愛かった
〜ッ!」
 ジーンズの裾がしっ
とりと色が変わってい
るのに、そんなことは
気にしてもいない。子
どもが服が破れるのも
気づかず遊び回ってい
るのと同じだ。
「もう、遊びは終わり」

 急に腹ただしくなっ
て私はそう言い放った。
仁志が怪訝そうな顔を
する。
「もう、別荘に行きま
しょ。そしたら明日の
お昼まで、どこにも出
かけないで、ずっとこ
もっていて」
 この日のために借り
た貸別荘だ。普通のと
ころよりも更に閉鎖性
のある、各戸に専用庭
があり、垣根も巡らさ
れている。プライバシ
ーが守られているこの
リゾートハウスに、一
度泊まってみたかった
のだ。もちろん、それ
なりの値段はした。け
れども、ふたりっきり
になりたかったのだ。
誰も知り合いのいない
この土地で、仁志を閉
じこめてみたかったの
だ。
「うん、じゃあ、ずっ
と部屋の中にいよう」
 仁志は調子を合わせ
てきた。
「ずっと部屋でごろご
ろしてるっていうのも
いいよね。メシはどう
する? 材料買ってく
るけど」
 客が求めていること
を読みながら喋ってい
るのだろう、仁志がゆ
っくりと続ける。
「花火とかあったら買
ってく? 酒もいるな」
 楽しそうに続ける彼。
恋人気分で旅に来たつ
もりなのだろう。手を
つないできたりもする。
 途中、コンビニに寄
った。食事はケータリ
ングでイタリアンを予
約してある。だから飲
み物やチーズなどのお
つまみ類を買う。ビー
ル、ワイン、そしてシ
ャンパン……。仁志は
陽気に品を選んでいる。
「結構、買い込んじゃ
ったね」
 そう言いながら、二
つになったコンビニ袋
を両手に下げ、自分の
着替えの入ったリュッ
クを背負って、坂道を
登っている。本当に重
いかもしれない、と思
ったけれど、ワザと持
ってはあげなかった。
坂を上がりながら、そ
れでも彼は笑っている。
愛想笑いなのか、それ
とも本当に楽しんでい
るのか。この子といる
と時々、私まで、引き
ずられて笑顔になって
しまう……。
 今まで仁志を買った
数回は、どれも全部彼
のペースに持っていか
れてしまっていた。
 楽しくなかったわけ
じゃない。むしろ、m
のすごく楽しかった。
だから私は彼を月に一
度もペースで呼び続け
た。一晩十万円という
冗談みたいな額を、払
い続けながら。
「真奈美さんはさ、い
つも働きすぎなんだか
ら、たまにはゆっくり
しなくちゃね」
 彼は時々、何もかも
わかっているかのよう
な口をきく。何もわか
っちゃいないくせにど
うしてそんなことを言
うの、と思いつつも、
「そうよね、ゆっくり
したいよね」
 つられて相槌を打っ
てしまう。
 でも今日こそ、なる
べく仁志にペースを崩
されないぞと、急いで
思い直す。私が、彼の
飼い主なんだから。



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体を売る
5人の男の子と、
それを買う
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