小説
「五分間だけ」
  
     内藤みか


<第一回>



 あの日彼に会わなか
ったら。毎日は、もっ
ともっとだらだらとし
ていて、一日がとって
も長かったはずなのに
……。
 唯衣の運命は、たっ
た一枚の貼り紙がきっ
かけで、大きく変化し
てしまっていた。
 行きつけの西新宿の
カウンターバー『キュ
ート』のドアに、『臨
時休業』と貼られてい
たのである。じゃあた
まにはラーメンでも、
と雛子が言うので歌舞
伎町に向かった。天下
一品のコテコテ味がお
気に入りだからだ。 
唯衣と雛子は、キャバ
クラ嬢だった。といっ
ても本業ではない。18
時から0時まで、週に
二回働くだけの、兼業
だ。昼は、英会話専門
学校に通っている。 
雛子が最初に始めて、
クラスメイトの唯衣を
誘ってきた。男の人と
一緒にお酒を飲むだけ
で一万円ももらえると
いう。ひとりでは怖く
てできない仕事だが、
仲良しの雛子がいるの
で、
(やってみようかな)

 という気持ちになれ
た。
 欲しいものなんて、
ありすぎるくらい、あ
る。
 ヴィトンの新作ポシ
ェット。 ピーチジョ
ンのランジェリー。 
セシルマクビのワンピ
……。 それらを手に
入れるために、ほんの
数時間、オジサンにお
酌をしたり、口説かれ
ていれば、福沢諭吉さ
んを手のひらに一枚載
せてもらえる。
 キャバクラ『ハニー
メディア』は日払いO
Kなのでいつも唯衣は
万札を握りしめて帰る。
何を買おうかな、と考
えながら。
 歌舞伎町のドンキホ
ーテの前には、いつも
のことだけど、ホスト
がうようよとたむろし
ている。そしてやっぱ
り、
「ね、俺ホストなんだ
けど〜」 とキャッチ
してくる。
(うざいよぉ……)
 目を合わせないよう
に、真っ直ぐ前を見て、
天下一品を目指そうと
した。
 ホストクラブには、
一度、雛子と一緒に行
ったことがある。けれ
ど、あまり楽しめなか
った。キャバ嬢をして
いるからなのか、ホス
ト達がタバコに火を点
けてくれたり、トイレ
から出てきた時におし
ぼり差し出されるのが、
かえって小恥ずかしく
て。
 それに初回は五千円
だけれど、二度目から
は何万円もかかるとい
う。そんなお金、バイ
トキャバ嬢には、ない。
だからいくら声をかけ
られても行くつもりな
んて、なかった。はず
なのに。「お〜ッ、ひ
ッさしぶりぃ!」「…
…え?」 
 雛子が足を止めてし
まった。「どこ行くの
ぉ〜?」 
 目の前には、黒いス
ーツの、ホストが二人。
それなりにカッコはい
いけれど、唯衣にはピ
ンと、こなかった。
「ゴハン」
 それだけ言って早足
で逃げ去ろうとしたの
に、立ちふさがれてし
まった。
「ホスト行かない? 
ホスト」「……お腹へ
ってるから」
「じゃあメシ食ったら
ホスト行こうよ、ね?
」
 大股で歩き出した唯
衣の背中を雛子がつつ
いて耳打ちしてきた。

「ねぇ、私……ちょっ
とイイかも、右の人…
…」
「えッ!?」
 唯衣は改めてそのホ
ストを眺めてみた。毛
先を逆立てた短めの茶
髪。体型もがっちりし
ているし、スポーツマ
ン好みの雛子は、気に
入ってしまったらしい。
「行ってみない?」
「でも……」
 唯衣はちら、ともう
一人のホストを見た。
お人形さんのように綺
麗な顔をしているけれ
ど、なんとなく冷たそ
うな男の子だ。雛子が
スポーツマンの彼を指
名するなら、唯衣はこ
のお人形さんを指名す
るということになる。
無口そうな男だし、う
まく話が合わなかった
ら、沈黙が続きそうで、
気が重かった。
 けれども雛子は行き
たがっているし……。

 迷っている時。
 後ろから、
「おぅ、おはよぅ」
 と、誰かが声をかけ
てきた。「お……ッ、
おはようございますッ!
」
 二人のホストが、ビ
シッ、と背筋を伸ばし
て、声の方を向いてい
る。
「早いですね。シンゴ
さん!」「まぁ、たま
にはね」
 今は、もう午前一時
だ。 
 それなのに「早い」
というのがすごいな、
と唯衣は思いながら、
後ろを振り返った。
 そして……。
 ぎくり、とした。
 なぜ、ぎくりとして
しまったのか、自分で
も、わからない。 こ
んな気持ちになったの
は、初めてだった。
 懐かしいような。
 うれしいような。
 だけどせつないよう
な……。 シンゴさん、
と呼ばれたその男は、
スラリと背が高く、キ
ラキラ光る目をしてい
た。同じように黒いス
ーツを着ているのに、
彼だけオーラが違うか
のように、輝いていた。
まるでタレントを目の
前にしたファンのよう
に、唯衣は、立ちすく
んだ。
「キャッチしてたの?
」
 ふと、彼が唯衣を見
た。
 目が合った。
 その途端、その場に
座り込みたいくらいの
衝撃が、唯衣に走った。
大きな彼の瞳の中にふ
ぅっと吸い込まれてい
くかのような。全身が、
熱くなった。
「うちの代表なんです
よ。」
 ホストがそう紹介し
た。
 シンゴはしばらく黙
っていたが、やがて、
「店、こっちなんで、
どうぞ」 と先に立っ
て歩き始めた。有無を
言わさぬ迫力に、唯衣
と雛子は、大きな背中
の後をついていくしか
なかった。
 連れていかれたホス
トクラブは、区役所通
りから一本裏に入った
真っ白に輝くビルの5
Fにあった。
 店の名前は『FIV
E』。
 白地に紺色のテーブ
ルセットを並べた、少
し大人っぽい雰囲気の
店だった。
 キャッチしてきたス
ポーツマンタイプのホ
ストは竜也、お人形タ
イプのホストは瞬と言
った。「永久指名制だ
けど、いい?」「うん。
私、竜也クン」
 雛子はご機嫌で、サ
ービスのジンロボトル
を注いでもらおうとし
ている。
「唯衣ちゃんは? 瞬
指名?」「……」
 唯衣は店内を見渡し
た。十五ほどテーブル
のある店内には、数組
の客が入っていて、そ
れぞれホストがついて
いたが、先程のシンゴ
の姿は見えない。
「私……」
 冷たい刺すような瞬
の視線が怖かったけれ
ど。思い切って、「代
表指名って、できるの?
」 と尋ねてみる。永
久指名制の店は、途中
で担当を変えられない。
だから、今、勇気を出
して言うしかない。
 瞬は、顔色ひとつ変
えなかった。
「じゃ、代表、呼んで
くる」
 と、奥に引っ込んで
いった。「なんか、ご
めんねー」
 唯衣は両手を合わせ
て、竜也に謝った。
「あやまることないっ
て。代表、いい男だよ
ね」
 竜也は、優しかった。
雛子も、「私、名前だ
け聞いたことある。五
時のプリンスって呼ば
れてる人でしょ」
 とシンゴについて語
っている。 どうやら
真吾はカリスマと言わ
れるくらいに有名なホ
ストらしかった。
「こんな時間にいるの
珍しいよ。いつもは五
時出勤なんだから」 
竜也はそう言った。も
ちろん、客も大勢いる
から代表はキャッチな
ど、しない。だから、
今夜唯衣が巡り会えた
のは、かなりの偶然だ
ったのだ。
 胸が、ドキドキして
きていた。 今まで何
十人にもキャッチをさ
れてきたけれど。こん
なに気になるホストは、
初めてだった。何かが、
起こりそうな気がした。
 けれどもシンゴは、
来なかった。ホスト雑
誌の取材があるとかで、
三時間以上、待たされ
た。 やっと現れたの
は、もう眠くなってき
た午前五時頃だった。
「指名してくださって、
ありがとうございます」
 シンゴが横に座った。
びくん、と唯衣の身体
は固くなった。すぐ近
くで見ると、ますます
彼がどんなにいい男か
ということが、わかる。
通った鼻筋、横一文字
の唇。どこも非の打ち
所がないような、綺麗
な顔をしていた。何よ
り、目が大きくて、く
らくらした。
 シンゴは、名刺を差
し出してきた。紺地に
白い文字で、
『代表 神山 真吾』
 とある。
「本名は真五って言っ
て、漢字の五なんです
よ。だから店も、ファ
イブ」
「へえ……」
 真吾からは、ムスク
のような官能的な匂い
がした。唯衣は何て返
事をしたらいいのかわ
からないくらいに緊張
していた。
「僕のバースデー、も
うすぐなんですよ。来
てくれます?」
「えッ、いつなんです
か?」
「明後日」
「うそ、ほんとに」
「ほんとですよ」
 真吾は頷いた。明後
日の五日がバースデー
だよ、という。
「僕、毎月バースデー
があるの。毎月五日が、
バースデー」
「……なんで?」
「実は何月に生まれた
のかよくわかんないか
ら。捨て子なんですよ。
母子手帳持って捨てら
れてらしいんだけど、
雨に濡れて五日生まれ
ってとこしか読めなか
ったらしい」
「……ウソ」
「ウソだと思う?」
 真吾は苦笑いをした。
そして唯衣の手を取り、
てのひらに唇を押しつ
け、その態勢のまま、
じっと見つめてくる。
「……!」
 驚いて何も言えない
唯衣に、「明後日、待
ってますよ」
 と彼は立ち上がった。
「僕は、五って数字、
大事にしてるんです。
ファイブで、五日、午
前五時に、真吾に会い
に来て下さい」
 真吾は他のテーブル
へと、移動してしまっ
た。他にも大勢指名客
がいるので、挨拶に回
らなくてはならないと
言う。
 彼の背中を、唯衣は
呆気に取られて見送っ
た。竜也が申し訳なさ
そうに、
「代表、あんまり長い
こと席にはついてくれ
ない人ですけど、いい
ですか?」
 と尋ねてくる。たっ
た五分。そのためにお
店に通うには、ホスト
クラブは、高すぎる。
 なのに。
「いい。代表さん指名
にして」 唯衣は頷い
てしまっていた。自分
でもどうしてかわから
ないけれど、真吾と、
どうしても、また話を
したくなっていた。キ
スをされた手のひらの
上を、唯衣はそうっと、
なぞった。



(第2話に続く)


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